2019年 07月 07日
Windows が Windows ではなくなる日、Windows10が終わる日
Windows の最大の失敗した戦略は「コンパイラがない」事だと思います。だから Intel x86_64 でなければ動かない、フリーウェアや便利なツール類が、他のアキテクチャに移植されなかったことでしょう。結局 x86 版のバイナリしか配布できなかった。オープンソースのソフトウェアも随分 Windows に移植されたけれど、コンパイラがないため、インテルアキテクチャのソフトウェアだけがバイナリ配布されてきました。Windows RT の失敗も、Alpha版だとか IA64 Itanium の失敗も、コンパイラがないために、ソース配布ができなかったためじゃないのかな。もし、コンパイラが付いていたなら、軽量な ARM 版 Windows Server が出てきてもおかしくなかったかもしれない。ちょっと便利なフリーウェアだって、個人で開発するのではなく、様々な開発者がプロジェクトに参加して、ユーザもアキテクチャを意識せずに開発できます。そもそも Intel x86_64 CPU は汎用性が高すぎるため、効率が悪く、消費電源も大き過ぎるのですね。
Windows のその次は、今の Windows のカーネルとは全く異なるものになるだろう。と勝手に妄想しています。例えば BSD 系の NeXTSTEP から mac OSX が生まれ、今の mac OS になったように、どこかのOSアキテクチャをベースにより、汎用性が高く移植性に優れたカーネルで動く、次世代 MS-OS になるのも面白いでしょう。尤も Windows NT が dec のVAX/ VMS から生まれたのはよく知られています。どこかの売れないが高い技術を持つ企業を買収するのは Microsoft のお家芸だから、小粒でも伸びている OS ベンダーを買ったとしたら要注意です。ファイルシステムも、25年以上前に開発されて、ロクな改良が行われなかった古臭い NTFS ではなく、セクタ管理もオープンな技術を取り入れれば、改善されて軽く動くはずです。恐らく表面的なUIは Windows に似た仮面を被っているでしょう。当然カーネルが違うから、従来のバイナリとの互換性のためのエミュレーション機能は持っていていい。ただし直接カーネルやファイルシステムを操作するような一部のアプリケーションは動作はしないでしょう。マイクロソフトが得意な「コンテナ化、サンドボックス化」により、多くのアプリケーションは動作するかもしれないですけどね。
Windows10 は「最後の Windows」です。決して「永遠に続く Windows」って訳じゃありません。Windowsが終わる時、それは今のところ分からないし、それまで私が生きているかどうかも分かりません。ひょっとしたら、もう IT とは無縁な仙人のような暮らしをしているかもしれないのです。だからと言って Linux がデスクトップに置き換わるとは考えにくい。PCが「パーソナルコンピューター」と呼ばれるように、原点に帰ってもっと趣味的なマーケットに身を寄せるかも知れない。あるいは、「Windowsが終わる時」その時は 「Microsoft が終わる時」かもしれません。企業としての Microsoft は続いても、コンシューマー向けデバイスとしての Windows は終わってしまい、Microsoft のビジネスの主眼がクラウドサービスとなって、コンシューマ用 PC 向けデスクトップOSを手放す日があってもおかしくない。何しろ携帯、タブレットなどの情報消費用のシステムにことごとく失敗してきた Microsoft なのです。情報消費者向に特化した OSに、二度目、三度目のチャレンジがあっても失敗するでしょう。残るは情報生産向けのシステムだけです。それほどに、情報消費ツールは2000年代初頭とは環境が違ってきているのですね。