Web3.0って何よ?クラウドの本質が変わる

Web3.0って何よ?

最近、地味に話題となっているバズ・ワード Web 3.0、ウェブ・スリーについて調べてみました。所詮素人の解釈ですから、その点は軽く読み飛ばしてください。

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Web1.0 と Web2.0

Web 1.0 の時代、ブラウザで静的コンテンツが読まれ、動くものと言えば、エッチなサイトのおっぱいが動く動画 GIF 程度のモノだった時代。まぁ「紙芝居」の時代と言えます。コンテンツ制作者は、テキストエディタで HTMLを書き、FTP でファイルをアップロードし、読み手はブラウザでそれを読み、感想があればメールを送る。「5Mbのしあわせ」と呼ばれた ISP が加入者に、5Mb のウェブスペースを貸してくれました。「作り手 -> 読み手」の一方向のネットワークの時代ですね。9600 ボーのモデムでピーヒャラやっていた時代です。

Web 2.0 は、ブログが果たした役割が大きい。作り手は簡単に画像や文書を「発表」し読み手は、ブラウザからコメントを付けたりが簡単にできる。誰もが「発表の場」を持つことができた。書き手 <--> 読み手の双方向の会話が手軽にできる。そこには HTML の文法もなければ FTP のコマンドも必要ない。また、ケータイ電話がこんな仕組みをより簡単にしてくれた。これが SNS に発展し、読み手と書き手の双方向のコミュニケーションを簡単にしてくれた。そしてスマートフォンの時代を迎えます。結果としてこのスタイルに Web 2.0 という概念が植え付けられた。

Web 2.0 は具体的なサービスがあって「これ何か今までと違うんじゃない?」という結果から Web 2.0 と呼ばれ始めたのに対して、Web 3.0 は「これからは Web 3.0 にしよう」という概念が先行している点が解りにくさに素になっています。


で Web 3.0

Wikipedia によると

Web 3.0

"Web3(ウェブスリー)、またはWeb3.0とは、パブリック型のブロックチェーンを基盤としたインターネットの概念である。

[中略]

Web3の具体的なビジョンは様々だが、いずれも様々な暗号通貨やNFTなどのブロックチェーン技術を基幹としている"

Web 3.0 を理解する上で大事なキーワードとして「ブロックチェーン」「NFT(非代替性トークン、ノン ファンジブル トークン)」いうキーワードがある訳です。


ブロックチェーン

"ブロックチェーン(英語: blockchain、もともとはブロック・チェーン)は、暗号技術を使ってリンクされたブロックと呼ばれるレコードの増大するリストである。各ブロックには、前のブロックの暗号化ハッシュ 、タイムスタンプ、トランザクションデータ(一般的にはマークルツリーで表される)が含まれている。"



良くある話として、仮想通貨がこのブロックチェーンを使っているのですね。NFT トークンはデジタルデータ中に仕込まれた「電子透かし」のようなものと考えていいのでしょうか。このデジタルデータが複製される都度、暗号化されたキーが追加される。これによって情報のオリジナル性、真偽を保証する仕掛けでトークンがリンクされる。

また、ブロックチェーンそのものは、一つの単一のデータベースとして存在するのではなくピアツーピアで交換され、プライベートや集中したサーバではなく、パブリックな空間に分散して存在するというのが特徴です。


非代替性トークン(NFT)ノン ファンジブル トークン

"非代替性トークン(ひだいたいせいトークン、英: non-fungible token、略称: NFT)とは、ブロックチェーン上に記録される一意で代替不可能なデータ単位である。NFTは、画像・動画・音声、およびその他の種類のデジタルファイルなど、容易に複製可能なアイテムを一意なアイテムとして関連づけられる。"

NFT(非代替性トークン)は漫画家のやくみつるさんの珍品コレクションのようなものですかね。私のポケットの100円玉はコンビニのレジに入ると他の100円硬貨とまじりあい、区別が付かなくなります。代替可能なトークンです。しかし、もしその百円玉が「松田聖子がジュースを買おうとしてボクが預かった100硬貨」(例えが古いな...)だったらどうでしょう? 財布にしまってしまえば他の硬貨と区別できない代替可能なトークンですが、ゼロの所に小さなちょっとした傷がありその時の記念写真もある、という事で別な硬貨として区別が付けられます。やくみつるさんのコレクションの様にケースにしまって保管する事で、他の100円硬貨と異なる非代替性、「松田聖子から受け取った100円硬貨」という、代替不可能なトークンになります。

その証拠として、100円硬貨のゼロの所に傷があり、その時の記念写真(証明)もある、という事が非代替性トークンの証拠となります。硬貨としての市場価値は100円ですが、特別な意味を持たせることで一億円の価値に化ける可能性があります。(タトエが大袈裟だけど...)

既に、オンラインゲームの世界では、似たような文脈の中で、NFTトークンが付いた希少アイテムの交換などで使われているらしいですね。

まぁ、「ゾロ目のシリアルナンバーが付いた二千円札」みたいな、代替性があるにも関わらず、特殊で独自な性格を持つものは NFT と言えるのでしょうか。

データの真偽を実証する代替不可能なトークンのブロックリンクをパブリックネットワークの中で、SNSで広がる「友達の輪」みたいに結びつける技術というかコンセプトが Web 3.0 の基本という事でいいのかな?  ちょっと違うかな。


Facebook がオワコン? GAFA がGAA となる日
https://islandcnt.exblog.jp/241436832/

六次の隔たり
https://ja.wikipedia.org/wiki/六次の隔たり

ポーカーでロイアルストレートフラッシュを狙って「♡のエース」を待っているプレーヤーにとって、「ハートのエース」価値あるNFTなんですね。トランプの一組にはハートのエースは一枚しかない。非代替可能なカードなんです。一方、ツウ・ペアで上がりを狙っているケチな私のようなプレーヤーは、リャン待ちのネタだったりするわけです。


GAFA をぶっ飛ばせ!

2022 年現在の Web 2.0 文化は GAFA が所有するプラットフォーム、膨大なインフラストラクチャに支えられています。Youtube のビデオは Google/Alphabet の存在なくして語れないし存在できない。マネタイズして価値を生み出す事もできない。Facebook に投稿された情報も、Facebook という巨大なデータべースの中に格納されています。いくらフォロワーが多くても、当事者には何の利益にもならないし、垢バンされてしまえば全てを失ってしまう。表示された広告の利益、全ての富、情報は、プラットフォーマーの膨大なインフラストラクチャのハードディスクの集合体にあり、GAFA の意思、意図がなくては発言者には何の価値もありません。SNS離れになります。最新のニュースは Google の検索結果が見出しとなり、関連する広告リンクが検索結果に表示され Google は儲かり、見出しだけで十分な読者は、ニュース発信元の新聞社のページへのクリックすることに興味が向かない。

Amazon の各ページは、単なる巨大なスーパーマーケットと同じです。フィジカルなご近所のスーパーマーケットは、商品を棚に陳列している状態はリアルディスプレィ広告なんです。スーパーの果物売り場は、林檎が真っ赤になって「ワタシ、おいしそうでしょ、ウッフン」と媚びを売っている、実にフィジカルでプリミティブな広告の世界。どこかの発展途上国の魚市場や、上野のアメ横のバナナ売りと変わりはありません。そんな林檎に恋をした買い物客が、林檎を手にとって、籠に入れ、レジを通れば初めて取引がスーパーで成立する。あくまでも Amazon は巨大な広告媒体に流通が加わったスーパーマーケットの売り場という「現場広告」の電子版なのですが、巨大すぎて品物の良否、価格の適正さを判断するには莫大な情報量を、私達顧客が処理しなければならない。一方では、信頼できるアメ横の魚屋で買った筋子のパックの方が安くて新鮮な場合もあります。

富と情報が偏って集約しきって、情報の優先度すら GAFA に支配された究極の世界、検索結果が正しいかの判断すら直感的に困難となる今のウェブサービスが、今の Web 2.0 の情報社会の限界なのですね。ニッパチの法則、ロングテールは Web 2.0 が生み出した文化であるにも関わらず、極端な商業主義にまみれてしまい、ニッパチの法則の8割の需要を満たそうとしているんですね、

実際、「体調が悪い、この症状はどうすればいいのか、どんな病気でどの科の病院へ行けばいいのか」を Google で調べてみればいい。出てくるのは病院の宣伝と医薬品の効果を示した資料ばかりだ。メンタル面から良いアドバイスを出しているページにたどり着けない。こんなもの病人の誰も読みたがらないだろう。

パレートの法則

一方で仮想通貨などは、コアとなるサーバが存在しないパブリックな空間で分散化された世界です。日本では禁句扱いの P2P 技術の発展形の様なもので、誰が一次放流者か? みたいなオリジナルかどうかはデータに添付された NFT トークンを調べると判る。例えばツィッターの一次ツィートにNFTトークンが付いて、イイねやリツイートによって更に NFT が追加され、オリジナルのツィートにトークンと言う付加価値が生れて行くわけなんです? 例えばですよ。たぶん。


スマートフォンが作り出す莫大な情報処理能力

Web 3.0 って言うから、何か新しいブラウザなんかの技術なんだろって考えていた私のアタマはまだ Web 1.0 なんですね。今やインターネットから情報を得る方法は、スマートフォンなどのデバイスの「アプリ」なのです。アプリがニンゲンと情報とのUIの接続点になっている。そしてバカにできないCPUパワーをスマートフォンは持っています。

例えば、今時のスマートフォン用のカーナビは便利だけどセンターサーバが必要です。もしスマートフォン同士がセンターサーバーを介さずに情報を収集し、P2P で発信し交換し、NFT トークンを見つけてブロックチェーンを作りながら拡散すれば、スマートフォンそれ自体が価値を生み出す可能性があるわけですね。となるとイイナの世界なのですけど、ありそうな話。

そして良質な情報を創り出せないスマートフォンは、人気のない P2P Torrent の様に拡大するスォームの中に自然と埋もれていく。そうしたデジタルデータとブロックチェーンの保持、分析を行う最低限のパワーがあれば、ピアで繋がるブロックチェーンの維持と拡大の源になるのでしょう。従来の Web 2.0 時代のブラウザ技術ではできない芸当になるかも知れません。発想しすぎですかね。

クラウドの本質が問われる Web 3.0

私達が「クラウド」と言った場合、Apple Music や iCloud、OneDrive や Dropbox とか NetFlix、Amazon AWS と言った「特定企業のサービス」を示しています。しかしこれは Web 2.0 の世界であり、Web 3.0 の世界では本質的なモノとは言えなくなるでしょう。OneDrive は、インターネット越しにある Microsoft のストレージが本質であり、Apple Music はApple 社のストレージにある音楽データを、ただコピーして手元の DAP(Digital Audio Player) が演奏しているだけです。

私達、IT業界のニンゲンは、クラウドを説明する際に、良く「雲の絵」を使いますが、これは狭い意味で「単なるインターネットの回線」であり、その雲の先にある Amazon だとか Google のサーバの本質を表していません。Web 3.0 の世界では、これまでのようにプラットフォーマーが配信用にとオリジナルソースをクリエータの意向を無視した加工を施し、配信用に最適化されたコンテンツを収容した「配信用のサーバ、ストレージ」が存在しなくてもいいのです。 P2P 技術と NFT によって繋ぎ合わされた真偽の確かな情報の ピア・トウ・ピアの断片を繋ぎ合わされた、最高でオリジナルに限界的に近い品質のコンテンツを楽しめるかも知れません。

文字通り「クラウド」の雲の中にある不完全なコンテンツを集め、組み立てる事で、一つの情報を創り出して再現する事も考えられると思います。そこには巨大なインフラストラクチャを必要とするプラットフォーマーは必要ないということです。手元のデバイスの動画を、細切れにクラウドに分散させて流通させることもできるのかな。大手の独占的、寡占化された流通網を通す必要なく、個人が、あるいは零細業者がわずかな費用で情報やコンテンツを配信できる。

コンピュータの歴史は、集合と分散を繰り返す

1970年代まで、コンピュータは巨大な集合技術でした。80年代以降、クライアント/サーバへと分散移行したのですが、結局はそれでは管理コストが掛かるからやっぱりシステムの集約化って大事だよね、という発想で、90年代以降サーバールームへの集約化、21世紀のクラウド移行などの歴史を私達は作ってきました。

今、Web 2.0 から Web 3.0 への移行は注目すべきだという意見は、Web 2.0 的なクラウド化、集中化への反発なのですね。再びデータと処理の分散を目指そうという方向性と言えるでしょう。

そして Web 3.0 が本格化した時、もう一度分散化を目指した方向性から、データの集約化、インテグレーションへの道にもどるのではないでしょうか。ずぅーっと先の事かもしれませんが。



「誰かweb3を見たことある? 僕は見つけられない」

Web 2.0 は ブログやSNSの出現から「結果として生み出され定義」されたコンセプトですが、Web 3.0 は仮想通貨以外には「未だ出現していないコンセプト」なのです。だから私達のほとんどの目には未だ見えません。イーロン・マスクは未だ見えないコンセプトを実現させるために次の行動に移ったのでしょう。

ジャック・ドーシー氏とイーロン・マスク氏、Twitterで「web3」批判会話
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2112/22/news081.html

なぜかWeb 3.0 から IoT カーナビや、コンテンツ配信、スーパーマーケットの話になってしまったのですが、イーロン・マスクが Twitter を買った目的も、「ツィートするテスラのドラレコ+カーナビ」というのも一つの目的だったのかな。「国道246号線上り白黒パンダがネズミ捕り中なう」みたいなですね。このツィートがリツィートされ連鎖して、NFTトークンの価値が上がる。でに実際は 「Twitter のトランプ元大統領の垢バン事件」のような言論の封殺も理由だと言われています。要は GAFA による情報コントロールへの回答。そして未だ見えない Web 3.0 を実現させたい。

果たしてセンターコントロールのないピアツーピアの世界で、ターミネータの様に「情報が暴走」した時に誰が「情報の暴走」を止めるのか。

また、価値の高い NFT トークンに誰がどうやって付加価値を与えマネタイズするのか。やっぱり広告モデルなのか。一次発信者の総取りなのか、それとも、ねずみ講の様に、下流の利用者からコストをフンダくるのか、新しい情報資本主義経済の在り方が問われます。そしてコストの取引は仮想通貨で行われる。仮想通貨の共通の世界には、「円安」も「ドル安」などの経済の国境を越えた為替文化もない。仮想通貨という今の貨幣価値文明を通さない、言わば物々交換に近い経済の在り方になるのでしょうか。そうなると経済の在り方や、従来の為替文化と言った近代以降私たちが馴染んできた社会のジョーシキをいっぺんに変えてしまう恐ろしい力を持つわけですね。

そこで、 Web 3.0 の価値観を測るモノサシであるとか取引上のルール、価値観のインフレやデフレの暴走を制御できる仕組みと言った、国境を超えた「グローバルな政策」のようなものを準備する必要があるのでしょう。もちろんWeb 3.0 は未知の世界ですから、容易に「今国会で話し合うべき内容」ではないのは当たり前ですが、そんな危機感と次の可能性を考慮しておく心の準備は必要でしょう。

(大袈裟だな)Web 3.0 を特徴づけて「これが Web 3.0 だ」みたいなモデルは、まだ仮想通貨の世界しか実感が湧きません。Web 3.0 は未だ Blue Ocean な未開拓な領域なのですね。それだけ可能性も感じるけれど危険でもある。

たぶん、「Web 3.0 的なサービスを始めたスタートアップ企業の九割は、どのメディアからも無視され、メディアに取り上げられたサービスの九割は一年以内に失敗し、ほんの僅かなサービスだけが成功するでしょう。そんな成功事例が 「Web 3.0 時代の次世代 GAFA 」になるのか、Web 3.0 の目指す本質的なサービスと富の分散化になるのかはわかりません。

しかし次のベンチャーキャピタリストが投資したがっているのは、大成功ビジネスへの可能性であり、所有するスタートアップビジネスのリアルな株価であり、Web 3.0 が目指していると言われる富と資本、情報、権力の分散化とは異なります。一体だれが投資するのか。一般利用者の価値あるトークンが資本主義ビジネスの価値を作り出すのか。私にも Web 3.0 の目指す方向性は未だ見えません。

どんなスタートアップ企業なのでしょうか。投資家は Web 3.0 をビジネスの機会と捉えるならば、web 2.0 の GAFA の成功体験を、投資家が Web 3.0 でも求めてくるのはおかしくない。それともベンチャーキャピタリストが Web 3.0 の成功企業から受け取るのは具体性のない仮想通貨であったり、実態のない NFT トークンかもしれませんね。

Web 3.0 は2000年代の頭の「ITバブルとWeb 2.0的なビジネス」に乗り切れなかった、投資家達が夢見る見る幻想で終わる可能性もあるでしょうね。

IT エンジニアの側としては Web 3.0 はそれほど魅力がないのかもしれません。むしろweb 3.0 でデジタルデータを販売しようというビジネスには魅力あるキーワードなのでしょう。一番魅力があるものはズバリ仮想通貨を使った商取引ですね。

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とは言っても西村博之氏なら

「なんか今までのインターネットと違うんじゃね、ってのが Web 3.0 だよね」

と言いそうなのが今、納得できる回答じゃないかな。


isLandcenter.jp



by islandcenter | 2022-05-14 14:52 | 雑文 | Comments(0)