2025年 05月 03日
Winny が作った「北海道ローカル」誰が得した成功した?

当時は「MX」「Winny」「Share」などが全盛であり、CD、映画、ゲーム、ソフトウェアなど、ありとあらゆるデジタルコンテンツが氾濫していた。今と違ってサブスクもなければ、ネット配信も発展途上だった時代において、地方に住む者にとってこれらのコンテンツは簡単には手に入らなかった。金銭的な問題というよりも、そもそも流通していないという問題があった。
「水曜どうでしょう」を初めて見たのは、四国のある地方都市に出張し、ホテルに宿泊した深夜のことである。
「痔を治そう」
そんなテーマで車に乗って辺鄙な山の中の露天風呂に入るという、北海道のローカル局の如何にも金がかかっていなさそうな旅番組だった。露天風呂に入ると言っても、入浴シーンは10秒もない。後はグダグダと車に乗っているシーンばかりである。
なんで四国で北海道のローカル深夜番組やってるんだ?
という謎。そして函館の近くの海辺の露天風呂で、出演者の如何にも冴えないモジャモジャ頭のドサンコ訛の男が、波をかぶって如何にも寒そうに露天風呂に心臓を叩きながら入るという爆笑シーン。
そして、ロケ車は函館へ、どこに行くのかと言えばフェリー埠頭である。

番組はそこで次週の予告で終わってしまった。
うーむ、来週も見たい。
あまりの面白さに衝撃を受けた。だが帰京してから改めて探しても、東京ですらビデオは入手困難だった。ネット通販も今ほど発達しておらず、地方のローカル番組が全国的に出回ることはまれだった。こうして、P2Pを通じて番組を探すことになった。
P2Pは、決して「タダでコンテンツを手に入れる手段」ではなかった。むしろ「どうしても見たい・聞きたいのに入手手段がない」作品を得るためのラストリゾートであり、手段として選ばざるを得なかったというのが正確だ。
そして、それらを通じて知った良作は、のちに購入した。現に「水曜どうでしょう」DVD やグッヅは千歳空港の売店でいくつか購入したし、P2Pで出会った音楽アーティストの多くのCDを、リアル店舗で探し回って購入した。地デジになる前の地方ローカル UHF 局のアナログ放送が、単に口コミだけでこれだけ広がるには、北海道の知人に頼んで VHS ビデオをダビングしてもらってゆうパックで入手する以外にどんな方法があったのか? ネットと P2P ソフトウェアという手軽な方法がそこにあったから使ったに過ぎない。「北海道ローカル」というタグで検索すると実に簡単に見つかったのだ。
もちろん、すべての利用者がそうだったとは思わない。「手軽にただで落とせる」という理由で悪用した者は多い。しかし、P2Pは本質的に悪ではなかった。
著作権を錦の御旗に掲げる団体、組織にとっては、既存の枠組みを超えた流通手段は全て「悪」でなければいけない。「悪」にしなければ権利を主張し対価を求める物差しの根源がないからにほかならない。
問題の根源は、既存の流通が技術の進歩に追いつけなかったことだ。地方と都市部でのコンテンツ格差、店舗依存の流通構造、物理メディアへの過剰な固執。こうした構造が、ユーザーを「非合法」へと追いやったのである。
Winny事件以降、ダウンロードの違法化と刑事罰化が進み、社会が P2P のみならず「ダウンロード行為そのものを違法」視するようになった。ネットの自由は急速に狭まり、技術そのものが「悪」とされる風潮が広がった。

今なら、P2P でメディアのデータ本体を配信し、コンテンツの利用権、視聴に必要なアクティベーションをブロックチェーンだとか NFT の様な仕組みで権利者を保護し、流通に必要なネットキャッシュを多く保持して、協力なアップデート回線を所有するヘビーユーザにも分配金を支払う様な方法も考えられるのではないだろうか。一連の騒動の後、真剣にそんな誰でも公平に、自由に正当に配信できないかを考えた事がある。
オリジナルのソースの保有者が配信したファイルを、P2P キャッシュホルダーが大量にストックして配信することで巨大なコピーをネットワークに作り出す。こうして初期の配信に協力した視聴者にも、コンテンツの権利者にも利益を生み出すような、そんな仕組みはないだろうか。
だが、今やYouTubeもNetflixもSpotifyも、すべてがかつてのP2P的構造の延長線上にある。分散型の配信、ユーザー主導の推薦システム、誰もが発信者となるモデル。これらはP2Pカルチャーが先取りしていた。
Winny 事件の後、ダウンロード違法化、刑事罰化によって、P2P どころかダウンロードの行為そのものすら違法化されてしまう。右ボタンで「保存」というアクションが合法かどうかを私達は判断できず、更に2003年の個人情報保護法も加わって、多くのプログラマ、SE, インフラエンジニアなど IT 技術者たちは、常に「著作権侵害」と「情報漏洩」の科に怯えながら暮らす毎日になってしまった。
私達 IT バブル時代のエンジニアには、今でもなお、「Winny を使った過去」と言う違法行為のトラウマを心の隅に抱えて生きている人も多いだろう。その姿は戦争を賛美しながらも、敗戦後、平和主義者に成り代わった先達の後ろめたさに似ている。
コンプライアンスとかハラスメントという単語がコメント付きで使われるようになり、昼時のビジネス街は、囚人のように ID カードを首にぶら下げたサラリーマンで溢れていた時代は、空前のネットブームと IT バブルの崩壊を経験し、平成の大不況を決定づけるリーマンショックに向かって突き進んでいく。
コンテンツホルダーの中に、 P2P の恩恵を受けた者が居たとしても不思議ではない。「北海道ローカル」に関しては HTB 北海道テレビは大きな恩恵を受けたと思う。札幌郊外の霊園の脇の ローカル UHF 局が全国に知られ、いつの間にか札幌の大通りにスタジオを構え、 NHK も凌ぐ地域ナンバー1の放送局になってしまったのだ。
あの四国で観た、荒海に沈みかけた露天風呂に入ろうとしていたモジャ毛のオトコは、今は紅白歌合戦の司会も努め、アカデミー賞を総嘗めするほどの俳優になった。「ローカルUHF局」という日本のTV業界の底辺に居た HTB が作り出した深夜のインディーズ的な番組が WInny をはじめとするインターネットの拡散力でメジャーにのし上がった。
もしかしたら、あの P2P の嵐の中、必死に自己アピールの場として Winny を使っていたミュージシャンの見習い小僧や、自分の作った動画を流していた映像作家の卵などが居たかもしれない。自作のフリーソフトウェアの配信に使っていたプログラマも居た。 もちろんコンピューターウィルスも急速に拡散した。
P2P は利便性と危険性が常に隣り合わせだった。Winny 事件はそういった危険と隣り合わせた可能性も、違法と合法の背中合わせを一網打尽にしてしまった。
Winny によって拡散された「水曜どうでしょう」のインパクトは、後の時代、 Youtube の素人クリエーターにも少なからず影響を与えたと思う。vLog 的なカメラワーク、独特のフォントを使った字幕とオノマトペの多用、「面白い」というところだけを切り取った「切り抜き編集」など、メジャーなキー局では絶対にやらないコンテンツの作り方は、今のプロでさえ無視できずに今どきの映像文化に影響している。
コンテンツの享受と対価の支払いのバランスは、今もなお課題であり続けている。ただ一つ言えるのは、「違法」か「合法」かの単純な二元論では、文化の価値を決めて成長は語れないということだ。
文化の裾野は、熱意によって広がる。その熱意が時にルールを逸脱することがあるにせよ、文化を前に進めてきたのは、そうした「どうしても見たい」「知りたい」「伝えたい」という欲望だったのだ。ソフトウェアや技術はその手伝いをしているに過ぎない。
Winny を始めとする P2P ソフトウェアを禁句扱いして「言論封じ」したのは、他ならぬ私を含めた IT 関連のエバンジェリスト達ではないだろうか。技術によって、成功も失敗もチャレンジする手段を封鎖して、結局、損をしたのは P2P という言葉を悪と信じた私達なのだ。